登山はなぜおもしろいか
「登山ってなにがおもしろいの?」
登山を始めてこの1年でよく聞かれ、よく答えに詰まる質問です。
先週末に1人で北アルプスを2泊3日で縦走してきました。
ひとりなので当然何も喋らず、ただ黙々と登り降りするだけの3日間。
その中で「登山ってなにがおもしろいの?」の答えが少し見えた気がするのでつらつらっと書いてみます。
1. 景色が素晴らしい
一番わかりやすく、明快な答えでしょう。
そう、山の上から見る景色は山の上からでしか見ることができません。高ければいいのであれば飛行機でもロープウェーでもいいじゃないかと言われそうですが、山から見た光景は自分の足に感じる地面と確かに続いている実感がありワクワクします。
いい景色を正面から食らうと毎度「これはいい…」以外の語彙力を失うのですが、それは致し方なし。
しかし、今回の北アルプスは後2日がガスガスの眺望0でも楽しかったので、自分にとっての登山の楽しさは景色だけではなようです。
2. 思ったよりやれてしまう自分がいい
目指す山頂が遥か彼方によく見えたりすると「あそこまで行くぞ」というゴールが果てしなく感じます。ほんとに今日中にあそこまでいけるのか…とか気が滅入ったりもしますが、往々にしてヒョイッと行けてしまいます。
また、黙々と沢道を登るルートでは眺望は少なく、黙々と足を回すだけです。ふと疲れて後ろを振り返ったとき、多くの場合スタート地点は遠く向こうに沈んでいます。
そんなときに「お、自分も結構やれるじゃん」と思ったりするわけですね。
この感覚が結構好きです。なので、登りは好きです。
この感覚がなく、ひたすらメンタルと太腿を削られる降りがあまり好きではありません笑
3. 自分との会話が楽しい
たぶん自分はこれが一番楽しいです。
山を歩くと自分の身体と相談した上での自己判断をひたすらに問われます、大きなところは「疲れとペース」「補給のタイミング」でしょうか。
長いときは10時間位ぶっ通しで歩くので、最後まで歩き通せるペースで管理しなければいけません。身体の一部に局所的に疲労がたまると動けなくなるので、疲れを分散させる事も大事です。
ザックを背負っていて背筋に疲労を感じてきたなら、ベルトやストラップを調整して一旦腰で担ぐようにする。降りで腿の耐久に不安があるなら、ストックを長く調節し衝撃を上半身で受けるようにする。
また、カロリーが切れても動けなくなるので「腹が減った」と感じる前に、どこで何分止まってなにを補給するか。その行動は今日のゴールに影響はないか。
黙々と歩く中で、こんな事を考えながら身体の1日を組み立てていきます。
複数日の縦走になると、1日だけではない組み立てになるのでより考えることが増えます。そこには身体だけでなく天気などの不確定要素も入ってくるため、目的を確実に達成するためにはどうすればいいかを深く考える必要があります。
スピード感はないものの、常に考えさせられ飽きない感じが好きです。
また、この判断プロセスを限りなく高速化したものがオリエンテーリングの楽しさなんだろうとも、最近になって思います。
どこにでも行けることがおもしろい
書いてみるとありきたりに言われている事ですね。
最近は「登山ってなにがおもしろいの?」と聞かれると、「自分の力でどこにでも行けるほうがおもしろいじゃん」と答えるようになりました。これが自分の中でしっくり来る回答なのですが、他の登山愛好家の「私はこれが好き」をもっと聞いてみたいでですね。
しかし、こうしてみると登山もオリエンテーリングも面白さを感じてるところは変わってないな…
自分の力でどこにでも行けることが楽しいので、もっとどこにでも行ける力をつけようと思います。
というわけで、雪山もアルパインクライミングもやりたい今日このごろ。
~おまけ~
— 本多たかし (@sanpomich) August 2, 2018
これはTwitterで回ってきたヤマノススメパロ…かと思いきや、元ネタは神々の山嶺なんですね。読まないと…
「山は山だ、山なんだ。山に登ることだ」
山がとても好きになってしまった、今となっては非常にわかる言葉です。